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名古屋地方裁判所 昭和61年(行ウ)5号 判決 1988年7月15日

原告

ナトコペイント株式会社

右代表者代表取締役

粕谷菊次郎

右訴訟代理人弁護士

山田靖典

坂口良行

齋藤勉

加藤茂

被告

愛知県地方労働委員会

右代表者会長

大塚仁

右指定代理人

下村登

志治孝利

近藤達也

安藤昭吾

寺尾憲治

被告補助参加人

総評全国一般愛知県中小企業労働組合連合会名古屋合同支部

右代表者執行委員長

石井一由記

右訴訟代理人弁護士

杉浦豊

渥美玲子

鈴木泉

水野幹雄

冨田武生

小島高志

竹内平

岩月浩二

渥美雅康

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

被告が愛労委昭和五七年(不)第三号事件について昭和六一年二月七日付でした命令を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  答弁(被告及び補助参加人)

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  総評全国一般労働組合愛知地方本部(以下「地本」という)は、昭和五七年五月四日被告に対し、原告を被申立人として不当労働行為救済命令の申立てをした(以下「本件救済申立」という)。その後地本の改組に伴い、昭和五八年七月二九日参加人が右申立てを承継した。

被告は昭和六一年二月七日付で別紙のとおり救済命令(以下「本件命令」という)を発し、右命令は同日原告に交付された。

2  しかしながら本件命令には、次のとおり事実の認定、判断並びに法律の解釈、適用を誤った違法があるから取り消されるべきである。

(一) 参加人は、労働組合法(以下「労組法」という)二条及び五条に規定する救済命令申立ての資格要件を有しないから、本件救済申立は却下されるべきものである。

即ち、参加人の組合員である佐藤英機及び大矢均(以下「佐藤」及び「大矢」という)は、それぞれ原告会社の総務課人事労務係長、同経理係長の職にあったものであり、いずれも同法二条但書一号所定の使用者の利益を代表する者である。従って、参加人が原告の行った後記配置転換、転属の撤回を求めることは、参加人組合の組合員が使用者の利益を代表する者になることを求めることにほかならないのであって、これらの者の加入を許している参加人組合が同法二条の規定に適合しないことは明らかである。

しかるに、被告が原告の右主張を排斥して参加人に本件救済申立の適格を認めたのは労組法二条但書一号の解釈適用を誤った違法がある。

(二) 被告が不当労働行為に該当するとした別紙本件配転一覧表記載の者(以下「恒川ら六人」という)に対する昭和五七年春季の配置転換、転属(以下「本件配転」という)は、以下述べるとおり、原告会社の業務上の必要性に基づき行ったものである。原告は参加人組合の下部組織であるナトコ労働組合(以下「ナトコ労組」というが、ときに組合とのみ略することがある。)及び恒川ら六人らとも何回も協議をなし、条理を尽くして説得したが同人らがこれに応じなかったため、やむをえず昭和五七年五月一一日付及び同五八年二月一日付で解雇の意思表示をなすに至ったものであって(以下、「本件解雇」という。)、もとより不当労働行為には該当しない。

(1) 本件配転に至る経緯

(イ) 人事異動に関する原告の基本方針

原告は、従来主として同部署間の人事異動であったのを、昭和四六年頃から他部署間との異動を活発に行うこととし、人事異動の範囲を全社的なものに改めることとした。この目的は、個々人に広い視野と見識を身につけさせ各人の能力を向上させると共に、適材適所に人員を配置し、各部署を経験することにより人材交流を図り、他の仕事内容、立場等を理解することにより社員間の意思疎通を良くすることにある。

原告は、この方針を会議等の席においてくりかえし社員に説明し、この基本方針は全従業員に十分理解されていた。以後原告は、概ね春と秋の年二回、定期的に人事異動を実施してきた。

(ロ) 人事異動等に関する就業規則の規定

原告は人事異動等に関し、就業規則に次のとおり規定している。

第一一条

一  会社は業務の必要により従業員の人事異動(配置換えを含む)を行なう。この場合、従業員は特別の事情がなければこれを拒むことはできない。

二  人事異動については本人の能力、適性、健康等を配慮して行なう。

(以下省略)

第八四条(懲戒解雇)

従業員が次の各号の一に該当するときは懲戒解雇に処する。

(一七) 正当な理由なく、条理を尽くしても配置転換、職種の変更の命に従わないとき。

第八五条(諭旨解雇)

懲戒解雇に該当するが、特別の事由ある場合には本人の将来を考慮して特に諭旨解雇とすることがある。

(ハ) 昭和五六年春季の人事異動について

(ⅰ) 原告は、昭和四八年の第一次石油ショック以後の業績の低迷傾向を打破すべく、幹部会等において将来の抜本策を繰り返し検討してきた結果、販売商品別に専門的な技術、サービス、販売を実施しなければならないとの結論に達し、昭和五四年一一月に営業部の職制に販売一課と二課を加え、それぞれの課が車両用塗料と木工建材用塗料の販売の責任を負うこととした。しかし、要員計画がままならず、新組織は十分機能しないままであった。そこで昭和五六年二月、販売一課、二課、三課に職制を変更し、それぞれが車両用塗料、金属用塗料、木工建材用塗料を受け持つことになった。

(ⅱ) 同季の人事異動の必要性とその目的

昭和五六年二月までの原告の累計売上高実績は、前年同期比九三パーセントと低調であった。同業他社専門メーカーの躍進ぶりを検討した結果、原告も商品別組織の充実の必要性が明らかとなり、同年三月一七日の幹部会において、同年春季の人事異動の基本案を決め、異動予定対象者にその意向の打診を始めた。

同季の人事異動の目的は「商品別組織を充実させ、それぞれが同業の専門メーカーに匹敵する実力を養う」ことにあり、異動予定者数は、異動一三人、新入社員配属一一人の合計二四人であった。

しかしながら、同年四月二一日地本からナトコ労組の公然化通告を受けたため、原告は無用の混乱と誤解を回避すべく、新入社員の配属を除き人事異動を見合わせることにした。

(ニ) 昭和五六年秋季の人事異動について

(ⅰ) 同季の人事異動の必要性とその目的

原告は同年春季の人事異動を見合わせた結果、時代の要求に即応した組織作りが中断したことや業界の過当競争等の原因により、原告の業績は一向に改善されず、同年一月から八月末までの売上実績は、業界全体で前年同期比一〇三パーセントであるのに対し原告は九九パーセントと極めて不調であった。同年九月に昭和五六年度の決算数字の概要を予測した結果も、同業他社と比較して原告の著しい業績の低迷が判明した。そのため、原告は同年一一月から始まる昭和五七年度においては、当初の目的を実現するため、機能的組織を作る必要に迫られた。そこで、同年九月一六日、一〇月一日及び同月一五日の幹部会において、秋季の人事異動の概要を決定し、同月一九日より、異動対象者各人に内示した。同季の人事異動は、これまでの経緯及び以下の事情からみて、是非とも実施する必要があるものであった。

①  営業部門の人員増加は低迷する販売高の増進に不可欠であり、そのためには営業適性、塗料知識を有する者をこれに充てる必要があり、しかも、前述した品種別販売課体制を確立するためには、今後更に大幅な人員増加が必要であった。

②  第二技術課に開発係を新設して独立性のある部署で新規特異性のある製品開発に当たり、長期的展望に立って製品開発を行う必要があった。

③  品質管理グループを技術部より製造部に移管して製造責任体制の確立を図り、併せて製品検査や品質管理を徹底させることにより不良率、ロスを低減させ、生産性を向上させる必要があった。

(ⅱ) 組合との団体交渉と異動対象者の説得

原告は、同年一〇月一九日、二八日、同年一一月五日のナトコ労組との団体交渉において、前記のとおりの同季の人事異動の必要性、目的等を説明し、また、異動対象者に対しては各人に内示したうえ、これに応ずるよう説得を重ねた。

(ⅲ) 同季における異動対象者

同季における配置転換、転属予定者は別紙昭和五六年秋季人事異動対象者一覧表記載のとおり総員三四名であり、原告は前記の人事異動の基本方針に則り、その必要性に基づき、全社的範囲において実施することにしたものであって、もとより労組法七条にいう不当労働行為でないことは明らかである。

(ホ) 同季の人事異動の経過と和解の成立

原告が同年一一月九日別紙昭和五六年秋季人事異動対象者一覧表記載のとおり異動の発令をしたところ、翌一〇日地本は被告に不当労働行為救済の申立てをした(昭和五六年(不)第八号事件)。

被告委員会における同事件の第二回調査期日に被告から和解の勧告がなされたが、この和解交渉の中で、被告の使用者側参与委員から、配転ルールが労使の協定として明確に成立していない点に問題があるからこの和解の中でこの点を協定化し、ここで定立された配転ルールに基づいて今後の人事異動を実施したらどうかと勧められ、更に平野孝行ら六名についての同季の人事異動を取消しても、あらたな労使協定に従って右六名を配転することは可能であるとの明確な説明をうけた。また、配転についての「協議」の意義について、同委員は、「協議」とは組合側とよく話合うことであり、相手方の承諾することが必要な「同意」とは根本的に異ると説明したうえ、協議の程度について団体交渉等を二、三回以上開催する必要があり、そのうえでいわゆる物別れ状態になったときは十分協議したことになると説明し、原告の再度の確認に対し、同委員から被告とナトコ労組も同様の見解であるとの回答をえた。そこで、原告も被告の説得を受け入れて和解の成立を承諾したものである。

こうした経緯で同年一一月二〇日、原告と地本の間に別紙和解書記載のとおりの内容の和解(以下「本件和解」という。)が成立したが、この和解の成立したことによって、原告はもとより被告においても、右人事異動を不当労働行為と認めた訳のものでないことはいうまでもない。その結果、原告は右和解条項に従い、右一覧表記載のうち平野孝行、井上義輝、佐藤英機、恒川周市、細江辰也、渡辺真和(以下、いずれも姓のみで表示する。)の六名の異動を取り消し、その関係で大矢外三名の異動も取り消すこととなり、右異動対象者の内二四名の異動を実施し得たが、一〇名の異動を実施することができなかった。

なお、右和解成立の際に、公益委員から当事者双方に対し、組合員の範囲については労使双方で早急に話し合って定めるようにと申し添えられた。

(2) 本件配転の必要性とその目的

(イ) 原告の業績の悪化

昭和五七年度決算期の開始日である昭和五六年一一月から昭和五七年二月までの売上実績は前年同期比八九パーセントと惨たんたる結果に終わった。この間の業界の平均実績は一〇五パーセントであり、原告の二年連続の業績不振は原告の業界における地位の低下につながるもので、原告は深刻な状況を迎えるに至った。

(ロ) 本件配転の実施の決定

原告は、このまま営業強化策を打ち出さなければ経営に重大な危機をもたらすことが必至であったため、昭和五七年三月一日幹部会を開催してその打開策を検討した。その結果、原告は、早急に営業部門の人員の増強をして営業強化を図るとともに、前記のとおり昭和五四年一一月の職制変更以来の懸案事項でありながら、五六年秋季の人事異動において一部実施されないままになっていた専門分野の充実強化のため、人事異動を行うことを決定した。その際、当時問題となっていた在庫管理問題を解決するため、出荷業務を外部の専門会社に委託するとの決定をし、これに伴う人事異動も併せて実施することにした。

(ハ) 本件配転対象者の選定

原告は、前記人事異動の基本方針に則り、且つ右必要性に基づき、営業部門の欠員補充を主旨とし、後記の各異動予定者本人の資質、経験を中心に人選に当たり、なお、大矢、佐藤外一部の者については、本件和解において問題とされ、その後昭和五七年二月一六日に被告から示された「組合員の範囲について」の斡旋案を考慮して人事異動の大綱を定め、全社的範囲で実施することにした。これが不当労働行為に当たらないことはいうまでもない。

(ニ) 本件配転の経過と解雇処分

原告は、昭和五七年四月一日付をもって異動の発令を行う予定のもとに、本件配転の大綱、人選を別紙昭和五七年春季人事異動対象者一覧表のとおり定め、同年三月三日の団体交渉においてこれをナトコ労組に通告し、翌四日から各人に内示を始め、同月一〇日から本件和解条項に従い組合と協議に入った。右和解条項に係る協議対象者は六名であったが、組合は終始「総ての組合員を対象者とせよ」と主張し、とりわけ、五六年の秋季の和解時に配転を取り消した組合員については、原告が「営業強化上どうしても必要性のある人達である」と説明しても、「不当配転であるから内示を白紙撤回せよ」と強く要求した。一〇回に及ぶ団体交渉のなかで、原告は何度も説明し、協議を重ねたが、組合の主張は全く変わらなかった。そのため、原告は組合とも配転対象者とも十分協議を尽くしたことから、同年五月一日付をもって本件配転の辞令を発した。

その後、原告は一度団体交渉の機会を持ったが、組合の態度は変わらなかった。そのため同年五月一一日、原告は、条理を尽くして説得しても配転に応じない大矢、渡辺、細江、佐藤、恒川、加藤、井上を就業規則に基づきやむなく解雇した。結局、昭和五七年春季の人事異動は、新入社員の配属も含めて総員三二名であったが、そのうち二四名が実施されたことになる。

(3) 本件配転対象者の個別的事情

(イ) 大矢均

本件配転(大矢については転属、以下同じ)命令が発せられた当時、ナトコ商事株式会社(以下「ナトコ商事」という)では、従業員の退職等により欠員二名が生じていたため、これを補充する必要があり、しかも、ナトコ商事では支配人の補佐が勤まり且つ経理にも明るい人材を求めていたところ、右要件を充たす者は右大矢を除いて外にはなかった。即ち、同人はかつてナトコ商事に勤務したこともあり且つ経理、人事、労務知識も豊富に有し、ナトコ商事の支配人の補佐役として最適任であり、性格的にも対外折衝能力に優れ、営業活動の要となるにふさわしい人材であった。

また、本件配転により給与等の面でも、勤務地の面でも従前に比べ何ら不利益になることはない。

なお、原告は同人の配転を決める際、同人が参加人組合の活動家であることを知らなかったものであるから、このことからも本件配転が同人らの組合員であることもしくは組合活動を理由になされたものでないことは明らかである。

(ロ) 渡辺真和

高松営業所駐在のセールスエンジニア(以下「SE」という)は、高松、徳島地区のユーザーに対する技術指導を主として担当するのであるが、同地区は建材、木工用塗料の需要が極めて大きく、原告は、かつて、SE一名を配置していたところである。本件配転当時これが欠員になっていたため、同地区のユーザーやディーラーからSEを補充してほしい旨の要望が強く出されており、原告としては、建材、木工用塗料に関する高度の技術、知識を有するSEを補充する必要があった。

同人は、入社以来、主として建材用塗料の研究開発に従事してきており、建材、木工用塗料に関する技術的知識も豊富であり、ユーザーとの折衝の経験もあるうえ、これに対する技術的指導力も十分であった。また、ユーザーと直接接触することにより、同塗料の研究開発に関する技術的能力を一段と向上させ、視野を広げることも必要であった。

同人の家族状況は、妻と就学前の子供二名で比較的転勤も容易であり、保母として勤務している妻については、新任地で就職できるよう原告において準備を進めていたところである。

以上のとおり、渡辺はその経歴、能力、家族状況等に照らして、高松営業所駐在のSEとして最適任であった。

(ハ) 細江辰也

名古屋駐在のSEは車両用塗料に関する技術指導をユーザーに対して行うことを主たる職務としているが、車両用塗料は使用法が難しく、その販売にはユーザーに対する技術指導が不可欠である。原告においても、従来数名の車両用塗料のSEを置いていたが、本件配転当時は前任者が退職したこともあって車両用塗料のSEは一名だけとなっており、これを補充する必要があった。

同人は、入社以来、主として車両用塗料の技術者として勤務してきており、車両用塗料に関する技術的知識は相当高度であり、車両用塗料のSEとしての適性は十分あり、他に適任者はいない。また、車両用塗料部門は新製品開発の要望が大きいところであるが、同人はSEとして勤務したことにより得た知識、経験を右新製品の開発に生かすこともでき、その意味でも適任者であった。

本件転属は転居を伴うものではなく、出張が多少増加するといっても、家庭生活に影響がある程のものではなく、同人に不利益をもたらすものではない。

原告は昭和五六年一一月一〇日前記不当労働行為救済申立てがあるまでは、同人が組合の活動家であることを全く知らなかったのであって、本件配転と前回(昭和五六年秋季)配転とが同人について同一内容であることに照らせば、本件配転が、同人の組合活動を理由としてなされたものでないことは明らかである。

(ニ) 佐藤英機

広島営業所は中国地方を担当地域とし各種塗料を扱っているが、木工用塗料の有望市場を抱えているにもかかわらず、販売店網の整備、開拓が遅れているため、優秀なベテラン営業マンを配置する必要があった。

同人は、入社以来、主として営業畑に勤務してきており、営業マンとしての能力も高いうえ、昭和五四年から総務課人事労務係を経験し、管理能力も向上させていたので、広島営業所長として最適任者であった。

同人の家族は妻と就学年齢の子供二名がいるけれども、原告としては地方勤務者に対してその生活安定のため十分な処遇をし、家庭生活に与える影響が最小限に止どまるよう配慮しており、本件配転により、同人が家庭生活上の不利益を受けることは殆どないと思われる。

(ホ) 恒川周市

大阪地区は各種塗料の需要が大きい有望市場であるが、原告の市場占有率が低く、営業マンの拡充が要請されており、特に収益率の高い自動車補修用塗料の売上向上が期待されていたにもかかわらず、この分野での知識を持つものがおらず、早急にこれに応じた人員の補充が必要であった。

同人は、入社以来、調色業務に就いてきており高度の調色技術を有するところ、自動車補修用塗料の販売にとって営業マンが調色技術を有していることは極めて有利であり必要でもあるうえ、同人は対外折衝能力にも優れているから、自動車補修用塗料販売の営業マンとして最適任者であった。

なお、原告が昭和五六年春季の異動に先立ち同年三月頃、同人に大阪営業所への配転の意向を打診した際、同人は当時病気療養中の祖父の最期を看取りたいとの希望を述べたが、基本的には配転を了承していた経緯がある。

同人には妻子がなく、両親及び弟と同居しているが、これらのものを扶養しているわけではないから、本件配転による家庭生活上の不利益もない。

(ヘ) 加藤一美

本件配転当時、第三製造係樹脂班には欠員が生じており、これを補充しなければ生産体制にも支障が生じかねず、早急にこれを補充する必要があった。

同人は、勤務態度も良好であるから製造部の最重要職場である樹脂班に適任であった。また、樹脂班は交替勤務制であるが、同人は独身で健康にも恵まれているから交替勤務により家族に負担をかけることもないし、加えて三好工場近くに居住していて通勤の便利なことも人選の理由となった。

同人は準社員であるから配転はない旨主張するけれども、本件配転は工場内配転であり、準社員について工場内配転をしないといった規則、慣行はなく、原告はこれまでに準社員についても工場内配転をしてきているのである。むしろ、同人を採用する際、原告は同人に対して転居を伴う配転はないが部門間異動はある旨言明しており、同人もこれを了承して入社したものである。

(4) 本件配転はこのように、原告の業務上の必要に基づいてこれを命じたものであり、加えて、被告委員会立会のもとに成立した本件和解条項2の配転ルールに従って行ったものであって、不当労働行為に該らないことは当然であるし、被告が本件命令において認定するように和解の趣旨を無視し誠実さに欠けるものでもない。

(三) 仮に本件解雇が不当労働行為に当たるとしても、佐藤は本件解雇の後である昭和五八年三月一七日飲食店の営業許可を受けて、翌日から「マイカップ」の屋号で喫茶店を開業し、以後同業に専念し、相当の収入も上げている一方、原告に対し具体的に就労の請求もしていない。かかる状況に照らすと、同佐藤については右一八日以降原職復帰も又賃金の支払いを命ずる理由も必要性もないものであるし、少なくとも、これまでに得た中間収入は賃金から控除すべきである。

3 本件命令理由第一「認定した事実」に対する認否

(一) 第一の1のうち(1)は不知、(2)は認める。

(二) 同2の(1)(2)(4)は認める。

(三) 同2の(3)のうち、佐藤が人事労務係長当時、採用について、学校及び職業安定所に対する求人活動や応募者の対応、試験の監督を行っていたこと、人事異動については、内示後、異動に伴う手続的な事務を行っていたこと、幹部会には出席していなかったこと、人事考課については一般従業員の場合三次まであり、一次考課者が係長、二次考課者が課長、三次考課者が部長となっていたこと、人事労務係長は自分の部下の一次考課を行い、全従業員の考課結果の集約は総務課長が行っていたこと、賃金計算、福利厚生、社会保険等の事務を行っていたことは認めるが、その余は否認ないし争う。

(四) 同3の(1)のうち、原告には労使間の諸問題を協議する経営協議会が設置されていたこと、同協議会に職場代表として恒川らが出席したこと、その主張の日に組合公然化通告を受けたことは認めるが、経営協議会において同人らが原告に対し労働条件や職場環境の改善を積極的に求めたことは否認する。その余はいずれも不知。

(五) 同3の(2)は認める。

(六) 同3の(3)のうち、梶浦本部長や山崎課長が原告会社の構内でビラ配布を行っていた細江らに対し抗議したことは認めるが、その余は否認する。

(七) 同3の(4)のうち、梶浦本部長が佐藤に対し応接室で「労務担当者が組合へ入ることはおかしい」と話したことは認めるが、佐藤が五月一日にナトコ労組に加入したことは不知。その余は否認する。

(八) 同3の(5)のうち、中村良男が原告の元総務課長で既に定年退職していたこと、昭和五六年七月一五日原告はカウンセラーとして右中村を迎え、同五七年五月一日付けで再び総務課長になったことは認めるが、その余の中村の発言内容は否認する。近藤章がナトコ労組の組合員であることは不知。

(九) 同3の(6)は否認する。

(一〇) 同3の(7)のうち、原告が団交の席で①営業部門の強化②開発係の新設③品質管理グループの製造部への移管という人事異動の趣旨を説明したのみであるとの点は否認するが、その余は認める。

(一一) 同3の(8)のうち、昭和五六年秋季の異動において大矢が人事労務係長への配転を認めることは組合に対する攻撃を認めることになるとしていたことは知らないが、その余は認める。

(一二) 同3の(9)は認める。

(一三) 同4の(1)のうち、団交において原告が業績不振のため本件配転が営業強化上是非とも必要である旨説明するに止どまったとの点、山崎課長らの職制が佐藤、大矢及び細江の妻達に述べた内容はいずれも否認する。ナトコ労組が本件配転が組合の存亡に関するものであるとしていたことは不知。その余は認める。

(一四) 同4の(2)のうち、ナトコ労組が恒川、佐藤、大矢、渡辺、細江、加藤、井上、浜本知枝美ら八名の者(以下「恒川ら八人」という)に対し指名ストに入るよう指令したことは不知。その余は認める。

(一五) 同5の(1)のうち、昭和五七年五月七日の団交で、原告が本件配転問題の話合いに応じなかったことは否認する。恒川ら八人が指名ストに入っていたこと、同年五月一九日ナトコ労組が指名ストを解除したことは不知。その余は認める。

(一六) 同5の(2)は認める。

(一七) 同6の柱書のうち、恒川ら六人が本件配転時に三好工場に勤務していたことは認める。

(一八) 同6の(1)のア、イは認める。同ウのうち恒川がナトコ労組公然化以後同組合の書記長を務め、本件配転時もその職にあったことは認めるが、その余は不知。

(一九) 同6の(2)のアのうち、佐藤が営業本部長から「営業センスがない」と言われたとの点を否認し、その余は認める。同イは認める。同ウのうち右佐藤が本件配転当時ナトコ労組の執行委員をしていたことを認め、その余は不知。

(二〇) 同6の(3)のアのうち、大矢が粕谷社長から「営業センスがない」と言われたことを否認し、その余は認める。同イを認め、同ウのうち、右大矢が昼休みの集会に参加し、腕章を着用していたことを否認し、その余は不知。

(二一) 同6の(4)のア、イは認めるが、同ウは不知。

(二二) 同6の(5)のアを認め、同イのうちなお書き部分を否認し、その余を認め、同ウは不知。

(二三) 同6の(6)のアのうちなお書き部分を否認し、その余及び同イを認め、同ウは不知。

二  請求原因に対する被告の認否

請求原因1は認める。同2は争う。本件命令の理由は別紙同命令書記載のとおりであって、被告の認定した事実、判断に誤りはない。なお、佐藤の原職復帰の意思がなく賃金相当額の支払いを命ずる必要性もないから、本件命令は佐藤に関する部分は取り消されるべき旨の主張については、本件命令後に初めて主張されるに至ったものであるから本件命令の適否を判断するうえで考慮されるべきではない。

三  補助参加人の主張

(中間収入の控除について)

佐藤らは本件解雇後、争議が解決するまでの間の生活費や裁判等の費用をまかなうため、やむをえずアルバイト等により収入を得ていたのであるが、その労務の性質及び内容は、同人の場合、従前原告の人事労務係長として働いていたものが、喫茶店を営み、一日中立ったままで調理接客等の仕事をするなど、原告会社で行っていたのとは全く異質の、より重い精神的肉体的負担を伴うものである。またその収入も従前とは比べものにならない僅かなもので、しかもこれを得るために同人が費やした費用は有形無形のものを含め莫大なものにのぼっているというべきである。従って、本件解雇によって同人の被った個人的不利益がこれによって一部分にしろ償われたなどとは到底解されない。

また、本件解雇は、ナトコ労組の書記長始めいずれも組合活動における中心的役割を果していた者達ばかりであって、組合活動に与えた損害は極めて甚大なものである。しかも、ナトコ労組は、その結成の直後から様々な組合脱退工作を始めとする不当労働行為を原告から加えられてきたのであり、本件解雇を頂点とするこれら不当労働行為の結果、組合員数も大幅に減少し、深刻な打撃を受けているのである。このような組合活動に対する侵害の除去という点からいえば、中間収入の控除を正当化すべき理由は全く存しないのである。

第三 当事者双方及び補助参加人の証拠関係<省略>

理由

一争いのない事実

請求原因1の事実並びに本件命令理由第一「認定した事実」のうち次の事実はいずれも当事者間に争いがない。

1の(2)の事実(原告会社の構成、規模、ナトコ商事との関係等)、同2の(1)(2)の事実(原告の組織、職制、職務権限等)、同2の(3)のうち、佐藤が人事労務係長当時、従業員の採用について、学校及び職業安定所に対する求人活動や応募者の対応、試験の監督を行っていたこと、人事異動については、その内示後、異動に伴う手続的な事務を行っていたこと、幹部会には出席していなかったこと、人事考課については、一般従業員の場合三次まであり、一次考課者が係長、二次考課者が課長、三次考課者が部長となっていたこと、人事労務係長は自分の部下の一次考課を行い、全従業員の考課結果の集約は総務課長が行っていたこと、賃金計算、福利厚生、社会保険等の事務も行っていたこと、同2の(4)の事実(大矢の経理係長としての職務内容)、同3の(1)のうち、原告には労使間の諸問題を協議する経営協議会が設置されていたこと、同協議会に職場代表として恒川らが出席したこと、昭和五六年四月二一日ナトコ労組より組合公然化通告を受けたこと、同3の(2)の事実(原告が昭和五六年春季の人事異動を計画しこれを取り止めたこと)、同3の(2)のうち、梶浦本部長や山崎課長が原告会社の構内でビラ配布を行っていた細江らに対し抗議したこと、同3の(4)のうち、梶浦本部長が佐藤に対し応接室で「労務担当者が組合へ入ることはおかしい」と話したこと、同3の(5)のうち、中村良男が原告の元総務課長で既に定年退職していたこと、昭和五六年七月一五日原告はカウンセラーとして右中村を迎え、同五七年五月一日付けで再び総務課長になったこと、同3の(7)のうち、原告が昭和五六年一〇月一九日秋季の人事異動を行う旨ナトコ労組に伝え、別紙昭和五六年秋季の人事異動対象者一覧表記載のとおり、各異動対象者に内示したこと、対象者総数三四名中二五名がナトコ労組の組合員であったこと、ナトコ労組は異動対象者の中に組合の中心的活動家が含まれているとして原告に対し再三協議するよう求め、団交が持たれたこと、同年一一月九日原告は異動対象者に対し辞令を交付したこと、勤務地が変更になる者八名中遠隔地へ配転を命ぜられた者四名はいずれもナトコ労組の役員であったこと、即ち、書記長の恒川が大阪、地本執行委員の渡辺が高松、支部執行委員の井上が新潟、ナトコ労組執行委員の佐藤が広島であったこと、同3の(8)のうち、昭和五六年一一月一〇日地本が右配転命令の撤回を求めて被告に不当労働行為救済の申立て(愛労委五六年(不)第八号事件)をしたこと、同月二〇日本件和解が成立したこと、昭和五六年秋季の人事異動において大矢は佐藤の後任として人事労務係長を命ぜられていたが、右佐藤の配転命令が取り消されたのに伴い大矢の配転命令も取り消されたこと、同3の(9)の事実(右和解の過程で原告から組合員の範囲の問題が提起され、その後昭和五七年一月一六日原告から同問題につき、被告に斡旋の申請がなされ、被告は斡旋案の提示をしたが不調に終わったこと)、同4の(1)のうち、原告が昭和五七年三月一日営業部門の強化と出荷業務の外部委託による在庫管理の強化を目的として本件配転を行うことを決定し、同月三日これをナトコ労組に通告し、翌四日から異動対象者に内示を開始したこと、同月一〇日の団交において、ナトコ労組は、本件異動の中に本件和解において取り消された組合書記長の恒川らの配転が含まれていることが本件和解条項に違反するものであるとして抗議したこと、その後の団交においてもナトコ労組は原告に対し本件和解条項に則り話合いをするよう求め、更に、本件配転を白紙撤回したうえ話合いをするよう求めたが、原告はこれに応じなかったこと、原告は団交と併行して異動対象者に対し個別的に説得を行うとともに、山崎課長らの職制が佐藤、大谷、細江の家庭を訪問して同人らの妻達と話をしたこと、同4の(2)のうち、昭和五七年五月一日原告及びナトコ商事が本件配転を発令したこと、参加人組合員である恒川ら八人がこれを拒否したこと、ナトコ労組はただちに原告に団交の開催を求めたこと、同5の(1)のうち、原告及びナトコ商事が恒川ら八人に対し第一次、第二次の解雇の意思表示をしたこと、同5の(2)の事実(恒川らが当裁判所に対し地位保全等の仮処分申請をなし、仮処分異議事件として現在係争中であること)、同6の柱書のうち、恒川ら六人が本件配転時に三好工場に勤務していたこと、同6の(1)のア(恒川の社内経歴等)及びイの事実、同ウのうち恒川がナトコ労組公然化以後同組合の書記長を務め、本件配転時もその職にあったこと、同6の(2)のア(佐藤の社内経歴等。但し、営業本部長から「営業センスがない」と言われたことを除く)及び同イの事実、同ウのうち佐藤が本件配転時ナトコ労組の執行委員の地位にあったこと、同6の(3)のア(大矢の社内経歴等、但し、同人が粕谷社長から「営業センスがない」と言われたことを除く)及び同イの事実、同6の(4)のア(渡辺の社内経歴等)及びイの事実、同6の(5)のア(細江の社内経歴等)及び同イ(但し、なお書き部分を除く)の事実、同6の(6)のア(加藤の社内経歴等。但し、なお書き部分を除く)及び同イの事実。

二参加人の救済命令申立ての資格要件について

原告は、参加人組合の下部組織であるナトコ労組員佐藤及び大矢がそれぞれ原告会社総務課人事労務係長及び経理係長の職にあったものであることから、同人らは労組法二条但書一号所定の会社の利益を代表する者に該当し、従ってこうした者の加入を許した参加人組合は本件救済命令申立ての資格要件を有しない旨主張するので判断する。

ところで、当該労働者が労組法二条但書一号所定の会社の利益を代表する者に該当するか否かは、問題とされた組合員の職制上の名称から直ちに決せられるべきではない。即ち、労働組合法は労働組合の自主性を確保するために、同法二条但書一号において組合の自主性を阻害する者として人事権あるいは労働関係に関する機密に接する監督的労働者など会社の利益を代表する立場にある者をあげているのであるが、この規定の趣旨は、労働組合の自主性を確保維持するために、使用者側の利益に連らなる一定範囲の労働者を例示してその範囲を画し、これを排除していこうというものであり、かつ、組合自治の犠牲においても、これら労働者の参加を否定するというものであるから、その判定にあたっては、当該労働者の担当職務の実質的内容等に即して、個別的、具体的に判断すべきものであると同時に、これを拡張的に解釈することは相当でないというべきである。

そこでこの見地から、本件配転前の昭和五六年から五七年頃の被告会社総務課人事労務係長及び経理係長の各職務内容についてみるに、<証拠>によれば、原告においては、総務課の係長といえども前記ナトコ労組公然化前に労使の協議機関として一定の役割を担っていた経営協議会において、会社側代表ではなく職場代表に位置付けられており、もとより幹部会に出席する権限はなく、また給与の面でも、係長については月額八〇〇〇円の役職手当が支給されるといっても、その下位の職制である主任、班長等にも支給されることになっているうえ、額の点でも課長の月額三万円との間には大きな格差があり、しかも残業に対しては割増賃金が支払われることになっているなど一般の従業員と殆ど変わらない取扱いがなされていること、次に人事労務係長の職務内容についても、同係の事務職員としては係長しかおらず、勢い日常的雑務、定形的業務に集中せざるを得ないものであるが、更に職員の採用、人事異動等についても総務課長の指示あるいは内示のあった段階で、その準備、事後処理などの事務手続に従事するのみで、その内容の決定に関与する権限は勿論、意見を述べる機会も与えられていないこと、人事考課も直接の部下の一次考課を任されているだけでそれ以上に全体的な考課査定に関与することはなく、給与関係についてもその決定過程に関与することはないこと、また、経理係長の職務内容もそれぞれ経理に関する事務手続きを処理するものにすぎず、人事労務関係に関与することはないし、被告の人事労務、給与等の機密に触れることもないものであることが認められる。なお、原告はこれら係長は会社の機密に触れる機会の極めて多いものであるから、組合員資格を認めるとこうした機密が漏れて会社は重大な不利益を被る恐れがあるとも主張し、<証拠>中にはこれに副う部分もあるけれども、労組法二条但書一号にいうところの機密が、経営、生産計画、経理状況、生産コスト等いわゆる企業秘密(一般的に、従業員がこうした機密を外部にもらしてならないことは当然のことである。)を意味するのではなく、要するに人事労務関係における機密事項に関するものでなければならないところ、右乙号各証において粕谷忠晴、梶浦明の述べるところは、いずれも右係長らの職務がいわゆる企業秘密に触れる機会の多いことや、過去の一時期に人事労務関係に関与した事実のあること、あるいは係長としてのあるべき姿を前提にしたものであって、これをもって、同係長らが具体的に人事労務関係につき、その当時機密事項に触れる立場にあったことを認めるには足りないというべきであり、他に同係長らが会社の利益を代表するものであることを認めるに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、佐藤及び大矢が使用者である原告の利益を代表する者に該当しないことは明らかであるから、組合員資格に関する原告の主張は採用できず、参加人に本件救済申立ての資格要件を認めた本件命令に瑕疵はないというべきである。

三そこで、本件命令の基礎となった事実関係につき検討する。

<証拠>によれば以下の事実が認められる。なお、右恒川周市の調書及び陳述書を一括して「恒川の供述」と、右粕谷忠晴、梶浦明の各調書及び陳述書を一括してそれぞれ「粕谷忠晴の供述」、「梶浦明の供述」ということとする。

1  本件配転に至る経緯

(一)  原告会社の規模、人事異動の方針

(1) 原告会社は、昭和二三年一一月現代表者の粕谷菊次郎の個人企業を発展させて設立された各種塗料の製造販売を業とする会社であるが、爾来一貫してその業績を伸ばし続け、昭和三二年から同四六年にかけて、東京営業所、福岡営業所、浜松営業所(後に静岡営業所に移転)、広島営業所、高松営業所、新潟営業所を次々と設置して販売領域を拡大し、同四四年には販売会社中部ナトコ商事株式会社(その後ナトコ商事に統合される。)を設立し、同四九年には同工場内に第二工場を完成させて生産量を飛躍的に増大させ、その間昭和四三年五月には本社事務も現在の三好工場に移転し、その後も工場、事務所の新増設、近畿ナトコ商事株式会社外の販売会社の設立、資本金の増額等を行ってきたものであり、創立者粕谷菊次郎を中心とするいわゆる同族会社である。

(2) 原告は従来特別の場合を除き他部署間の人事異動を行っていなかったが、右のとおりの会社の成長、拡大とともに、昭和四七年頃から業務上の必要性及び人材の活用、人事の交流、活性化の見地から他部署間、遠隔地への異動も行うようになった。そして営業所長など比較的管理職的色彩の強いものに限られていた異動は次第に全社的なものに広げられ、同五二年頃からは概ね春季と秋季の年二回実施されるようになった。

(3) なお、原告においては従来からナトコ商事等関連会社への転属は設立の経緯、資本及び人事の緊密な関係から同一会社内における配転人事と同様に取り扱っていた実態があるので、関連会社への転属もこの中に含めて判断するのが相当である。また、原告には、正規の機関ではないが、社長以下役員、部課長で構成され人事異動等の人事について、事実上の協議決定機関としての役割を担っていた幹部会があり、概ね月初めと中旬頃開催されていた。

(二)  ナトコ労組の結成

しかし、企業規模が拡大する一方において、従業員の中に、原告の人事異動の方針が場当り的で、しかもその方法が一方的で従業員の意思を無視しているとか、あるいは住宅手当がなく、給与の基礎が同業他社に比べて低いといったことや、有給休暇が取りにくいといったような労働条件、更には、有機溶剤を取扱う者に対する安全衛生が不十分であるといった職場環境等についての不平不満を持つものが出てきたことを契機に、昭和五二年頃から参加人組合員である恒川、同渡辺、同細江、同市場、同井上らが中心となって、組合結成に向けて準備活動が進められ、翌五三年には地本に個人加盟し、非公然化組織としてN分会を結成した。そして右恒川らはN分会の役員として同分会の活動を非公然ながらも積極的に進め、それまで原告が従業員の代表者との意見交換、協議の諮問機関として設けていた経営協議会に職場代表として参加し、原告提案の職能給制度を断念させたり、あるいは原告がそれまで親睦団体の会長との間に締結していた三六協定を労基法に違反すると主張して、従業員の代表者との間で締結するよう要求し、職場代表として前記市場を選出して三六協定を締結するに至らせるなどN分会としての成果を得た。しかし同五五年七月頃に、右中心的活動家の一人であった市場が広島のSEに、井上が前記中部ナトコ商事へそれぞれ転勤、転属になり、組合活動に支障を来したが、同五六年四月二〇日ナトコ労組として公然化大会を開き、委員長に平野孝行を、書記長に恒川を、その他役員一一名を選出し、翌二一日原告に対し労働組合公然化通告をした。公然化当時のナトコ労組の組合員数は約八〇名であったが、その一週間後には約一〇〇名となった。

(三)  ナトコ労組公然化に対する原告の対応状況

(1) 原告は営業強化の観点から昭和五六年二月頃から同年春季の人事異動を計画し、同年三月一七日の幹部会において配転対象者を一三名に絞り、これらの者に対し意向の打診を開始したが、組合公然化通告に接し同異動計画の実施を取り止めた。もっとも、同異動計画の具体的内容等については、前記粕谷忠晴及び梶浦明の各供述によれば、前記恒川、佐藤、細江、渡辺、平野、井上らが配転候補者として名前が上がり、右恒川、佐藤、井上に対しては意向打診もし、その結果を見たうえで更に計画の実施を検討しようとの考えであったというものであるが、これ以上に詳細は明らかにされておらず、従って、同季の配転計画そのものが、果たしてどの程度固まったものであったのか疑問もあり、その取り止めをもって、原告の主張するように一概に組合との間の無用の混乱を避けるためだけにやむを得ず採った措置であったと認めるには困難が伴うところである。なお、同季の配転の業務上の必要性については後に検討することとする。

(2) ナトコ労組は公然化通告と同時に原告に対し前記人事異動、労働条件、職場環境に関する諸要求を提出するとともに、同月二八日に団体交渉の開催を求めたが、原告は中間決算のため連休明けまで応じられないとの回答であった。その後、ナトコ労組が度々早期開催を求めたのに対しても、原告は開催場所、組合側の参加人数、上部団体の参加、開催時間等の問題で組合の要求に難色を示し、組合との間に合意が出来るまでは開催に応じられないとの態度であった。そのようなことから第一回の団交が開催されたのは翌五月の一三日であった。

(3) 一方、右組合公然化直後、原告代表取締役社長の粕谷菊次郎はナトコ商事の社員の前で「あの組合はアカだ。」との発言をし、数日後の原告会社の朝礼において、「自分は他から、会社を共産党に乗っ取られたのかといわれて非常に恥ずかしかった」といった発言をし、また、梶浦本部長も、「組合からの勧誘がしつこい、脅迫じみたことがあったとも聞いている。今後このようなことがあったら会社に報告して欲しい。」などといった発言をした。更に同年六月九日、梶浦本部長は参加人組合員である佐藤を応接室に呼び出し、「人事労務係担当者が組合に入るのはおかしいではないか、今の仕事を続けたかったら、君にも生活があることだから、良く考えてみることだ。」と、梶浦本部長の真意の程はともかく、右佐藤が、組合から脱退しないと今後人事面等で不利益を受けるのではないかと危惧するのもやむをえないような話をした。

(4) また、同年七月七日従業員の悩みや不満を聞く場を設けたいとの粕谷社長発言のあった後、原告の元総務課長の訴外中村良男がカウンセラーとして原告の嘱託となったが、同元課長は昭和五六年六月頃から七月頃にかけて、かつての部下であるナトコ労組の組合員等と個人的に接触して、「君の将来のことを考えるとあまり組合活動はしないほうがよい。今の組合はアカだ。」「将来は総務課長になるかもしれない。自分が戻ってきたのは総務課長時代に入れた者が組合作りの中心メンバーになっているのに責任を感じたからだ。」などとナトコ労組を中傷しあるいは同組合からの脱退を勧める発言をした。その後更に、後記第二組合の委員長、副委員長になった訴外小野、同山田らがそれぞれの部下であるナトコ労組員に対して、右中村元課長の話なども交えて前同様の趣旨の発言をしたり、「企業対共産党」という書物を手渡したりなどした。なお、中村元課長は昭和五七年五月一日付で再び原告の総務課長に就いている。

(四)  昭和五六年秋季配転

(1) 原告は昭和五六年一〇月一九日ナトコ労組との団交の事前折衝の場において、人事異動と組織変更を行うことを明らかにしその主旨説明をした。しかし、右説明は配転対象者、日時、配転先等について触れるものではなく、配転対象となる組合員に対する事前の意向打診等もなかったため、ナトコ労組は、これまで団交等において原告に対し組合への事前の報告、協議など配転ルールの確立を要求してきた組合の意向を無視するものであるとして反発し、原告に対し配転対象者、日時、配転先等を具体的に明らかにするよう要求し、配転対象組合員の概要が判明してから後は、参加人組合員である大矢、渡辺、細江、佐藤、恒川、井上、平野、その外組合員八名から交渉を任され、同人らに関する個人的な配転の内示を止めて、組合との話合いをするよう求めた。これに対し原告は、人事異動の問題は会社と異動対象者個人の問題であるとの考えからこれには応じないまま、同日から同月二八日にかけて別紙五六年秋季人事異動対象者一覧表記載のとおりそれぞれ配転対象者に対し個別的に内示をし、同年一一月九日赴任期限を同月一六日(但し、恒川は二三日)と定めて同旨の業務命令を発した。

(2) 昭和五六年秋季配転には次のような特徴があった。

まず、同季の異動はこれまでにない大規模なものであるが、異動対象者三四名中、新入社員の配属三名、所属部署の名称変更に伴う者四名、右配転の内示の日までに既に事実上の異動を済ませているもの六名を除くと、実質上の配転対象者は二一名で、そのうちナトコ労組の組合員は一七名の多数に上るものであった。しかも、右一七名のうち、前記平野はナトコ労組の委員長、同恒川は同書記長、畑宏則、川上進、宮原貞夫及び前記佐藤は同執行委員、同井上は支部執行委員、同渡辺は支部執行委員兼地本執行委員、同細江はナトコ労組教宣部副部長教育担当と組合の役員であり、その余の者も大部分は同組合の活動家であった。次にその配転先を見ても、その殆どが、広島、新潟、高松、大阪など、組合活動の中心となっていた三好工場から遠隔地で、出張も多いなど組合活動の困難な外勤部門であり、更に、三好工場内の組合活動の中心的職場である技術部に所属するものが一七名中一二名も存在していた。

(五)  第二組合の結成

五六年秋季配転に前後して、ナトコ労組の運動方針に反対する立場から、訴外小野、同羽生田、同山田各係長によって第二組合の結成が図られ、同年一一月二日同盟ナトコペイント労組が結成された。そして同労組からナトコ労組員に対し、脱退、勧誘工作が行われ、これによりナトコ労組を脱退して同盟ナトコペイント労組に加入するものも現れ、右配転命令により混乱していたナトコ労組は弱体化の危機に見舞われた。もっとも、同盟ナトコペイント労組結成に当たり、原告が、営業所長会議の場において、出席者に対しナトコ労組の脱退届用紙を配布するとともに同盟ナトコペイント労組への加入用紙を配布するなどして、同労組の結成、拡大に直接関与した趣旨の前顕恒川の供述部分は<証拠>に照らしてにわかに採用できない。

(六)  不当労働行為救済の申立と和解の成立

(1) 原告が前記のとおり配転辞令を交付してきたのに対し、地本は、同年一一月一〇日被告に不当労働行為救済の申立てをするとともに実効確保の措置を求めた。赴任期限が迫っていたことから、被告は同月一三日原告に対し、配転命令の強行を一時見合わせるようにとの要請をしたところ原告はこれを了承した。しかし、原告がこのことをナトコ労組に連絡せずに、その後もなおそれぞれの関係上司から配転対象者個々人に対し、配転命令に従って赴任するよう説得を続けさせたりなどしたため、組合は原告が配転命令を強行するものと考えて指名ストに入った。そのため、後に右事情を知った組合が原告のこうした対応を不誠実であるとして強く反発するということもあった。こうした事情を含め、被告から原告に対し、右指名ストに対して賃金カットをしないよう、また、一週間配転を凍結し、その間和解のため団交を持ち話し合うようにとの説得がなされ、原告はこれに応じて組合に対してその旨の確認を与えた。その後更に被告からの強い説得もあって、同月二〇日別紙和解書記載のとおりの内容の本件和解が成立した。原告は本件和解条項に従って、前記恒川、佐藤、渡辺、細江、平野、井上ら六名の配転命令を取り消し、これに関連する人事として大矢外三名の配転命令も取り消し、残り二四名について人事異動を実施した。

(2) 右和解の過程において、組合から原告に対し、配転同意約款を含め配転ルール確立の要求があり、この点について一定の合意が成立したが、そのほかに、原告からは総務課の職員は全員、なかでも経理係長の大矢、人事労務係長の佐藤については非組合員でなければならない旨の主張がなされたのに対し、組合側はこれは組合自治の問題であって、原告が容喙すべき事柄でないとして、組合員の範囲の問題についても争いとなった。この点は和解条項には入れられなかったが、公益委員から労使双方に対し口頭で、今後十分話し合って決するように申し添えられた。なお、公益委員からの口頭による申し添えの件に関し、粕谷忠晴の供述中には、右組合員の範囲の問題を組合が原告の要望に応じて早急に話し合い解決することが、本件和解を無効にするものとまではいわないが和解に応ずる上で極めて重要な条件と考え、その旨公益委員を通じて組合にも伝えられていたはずである旨の供述部分もあるけれども、組合のこの問題に対する対応の経過及び本件和解書にこの点何ら触れられるところがないことに照らし、前記公益委員からの申し添えが、右粕谷忠晴の供述にいうような拘束力を持ったものとしてなされたものとはにわかに認めることはできず、他にこれを認めるべき確たる証拠もないところである。

(七)  本件和解成立後の労使関係

(1) 本件和解成立後、原告はナトコ労組との間で組合員の範囲の問題について、話合いを持ったが、組合側の態度は従来と全く変らず譲歩の気配は認められなかった。そこで、原告は昭和五七年一月一六日被告に斡旋申請をし、同年二月一六日被告より「①組合員の範囲は次に揚げる者を除いた者とする。(ⅰ)課長以上の職にある者 (ⅱ)総務課人事労務係長、経理係長電算係長 (ⅲ)役員の秘書及び乗用車の運転手、守衛 (ⅳ)営業所長については実情に即して協議した者、②労使双方は次のことを尊重しなければならない。(ⅰ)現在の総務課の人事労務係長、経理係長、及び電算係長の処遇については労使協議する。(ⅱ)機構を改革する場合は組合と事前に協議する。」との斡旋案が示されたが、組合側はその受入れを拒否した。原告はこうした組合側の態度を前記和解の際示された公益委員の意向を全く無視する理不尽なものであるとして、話合いによる解決の期待を失った。

もっとも、組合側の右のような態度が必ずしも理不尽といえないことは前記二(参加人の救済命令申立ての資格要件)において認定、判断したとおりである。

(2) その他ナトコ労組と原告の労使関係の状況を示すものとして次のような事実があった。

(イ) 原告は昭和五六年一一月末頃、原告三好工場の近くにある柿本寮に入居していた新入社員のナトコ労組員を同寮からわざわざ通勤等にも不便な名古屋市内の寮へ本人の意思を無視して移転させた。このようなことは従来なかったことであったため、組合がナトコ労組の弱体化を狙ったものだとして抗議したのに対し、原告からは「寮の管理は、福利厚生の問題であって団交にはなじまない。」との回答があっただけであった。なお、寮の移転問題は翌五七年三月末頃同年の新入社員三名を柿本寮から一斉に名古屋の寮へ移転させた際に再燃している。また、原告は昭和五七年二月中旬頃、ナトコ労組宛に来た郵便物を誤って開封したりすることを避けるためとしてこれを受取らずに郵便局に返却したことがあり、組合がこれに抗議し、団交で折衝の結果、原告が以後取り次ぎを約束したことがあった。

(ロ) ナトコ労組は従前から原告に対し組合の掲示板を構内に設置させよとの要求をしていたのであるが、原告は昭和五六年一一月九日同盟ナトコペイント労組に対しては、掲示板のある場所以外の場所にポスター、ビラその他の掲示物を貼付したりなどしないこと、掲示しようとする物を事前に原告に届け出ること外を付帯条件とする協定を締結して、掲示板の貸与をした。しかし、ナトコ労組との関係では、同労組が右付帯条件は検閲を容認するものだと主張し、この条項を巡って当事者間に争いがあるため、協定の締結に至らず未だ掲示板の貸与はなされていない。

(ハ) ナトコ労組は組合公然化以降原告に対し、時間外の労働条件の改善及び同労組との三六協定の締結を要求してきていたが、昭和五六年一〇月一六日問題を残しながらも漸くその締結をみるに至った。ところがその後、残業時間の短縮等の要求について交渉中、原告は昭和五七年に至り、同盟ナトコペイント労組との間に新たに三六協定を締結したため、ナトコ労組と同盟ナトコペイント労組のいずれの組合が三六協定の締結権を有するかを巡って紛争が生じた。

2  本件配転

(一)  本件配転の内示と労使交渉

昭和五六年秋季配転につき本件和解が成立したものの、労使関係が一向に改善されないなかで、原告は昭和五七年三月一日の幹部会で別紙昭和五七年春季人事異動対象者一覧表記載のとおり同五七年春季の人事異動計画を決定し、同月三日のナトコ労組との団交の席で同異動計画の主旨が営業強化と出荷業務の外部委託を目的とし、被告での組合員の範囲に関する斡旋案も考慮したものである旨説明するとともに、今週中に内示を行う予定であるが、本件和解条項2の趣旨に則り協議対象者については組合と協議のうえこれを実施する旨通告し、翌四日から各異動対象者個々人に内示を開始した。次いで同月一〇日の団交において、原告は同季の人事異動の大綱を説明し、本件和解条項による協議対象者の氏名、配転先を明らかにした。これに対し組合は、今回の人事異動について文書でその全容を明らかにすべきこと、前回の配転取消者について再び配転を命ずるのは本件和解に違反すること、本人の希望を重視すべきことを要求した。その後今回の人事異動について(なお、勤務時間と未払い賃金の問題、春闘要求なども付随的に議題となった。)三月一三日から四月末日までの間一〇回の団交が持たれたが、組合側は大矢外五名を含むナトコ労組員に対する今回の配転が本件和解の趣旨を無視するもので、組合に対する不当労働行為であるとの認識から、今回配転の白紙撤回を求める基本的態度を変えず、また、五六年秋季配転の時と同様、配転対象者に対する内示、協議の方法などについても配転対象者個々人にではなく組合と交渉するよう要求した。他方原告は、今回の人事異動は会社の業績不振の回復策として五六年秋季配転以前から計画していた組織変更と販売強化を図るうえで是非とも必要な措置であり、本件和解の趣旨に何ら反するものではないし、人事異動は基本的には個人の問題であるとの見地から、組合に対して配転の必要性、人選理由等について更に敷衍して説明を加えるとともに、配転に応じられない旨意思表示している組合員に対しては、それぞれの上司が会社応接室に呼び出したり家庭訪問するなどして個々に説得する一方、組合の要求には応じられないとして、今回の人事異動を計画どおり実施するとの態度を変えなかった。そのため右団交においても両者の歩み寄りは全く見られなかった。

(二)  本件配転命令と本件救済申立

原告は昭和五七年五月一日本件配転命令を発し、参加人は同月四日被告に対し本件救済申立及び実効確保措置の申立てをした(この事実は当事者間に争いがない。)。同月七日の団交において、ナトコ労組は本件配転辞令による赴任期限を延期して本件配転問題を労使間の話合いにより解決するよう求めたが、原告はこれまでの団交の経過からして被告での解決に委ねるよりほかはないとして、以後この問題について団交には応じない態度をとった。

(三)  昭和五七年春季の人事異動の特徴並びに恒川ら六人の被むる不利益

(1) 同季の人事異動対象者は別紙昭和五七年春季人事異動対象者一覧表の記載から明らかなとおり総数三二名であるが、新たに配属となった者六名及び組合員資格の関係で非組合員と思われる者五名を除くと、異動対象者二一名中ナトコ労組員は一二名であるところ、右一二名中渡辺、細江、佐藤、恒川、井上の五名は前叙のとおり組合の役員で中心的活動家であるうえ、五六年秋季配転(前回配転)と同様の配転内容である。しかも右五名は本件和解により前回配転が取消しになった者であるのみならず、右五名中細江を除く四名は本件和解条項2により配転につき組合との協議対象者とされていたものである。

(2) 渡辺、佐藤、恒川、井上の配転先はこれまで同人らが、組合活動の中心的な基盤としていた本社事務所及び三好工場からの遠隔地であり、それぞれの組合活動に困難をきたすのであるが、なかんずく恒川は非公然時代から書記長という枢要な地位にあることから、原告との事務折衝や週一回開かれる執行委員会への不参加が組合活動全体に及ぼす影響は決して少なくないし、佐藤、渡辺も執行委員として週一回開催される執行委員会への出席をはじめとする組合活動への参画に相当の支障をきたすことは明らかである。また、細江の配転先は名古屋営業所であるから、地理的には遠隔でないが、名古屋営業所駐在の車両用塗料のSEはその主な職務内容が全国のユーザーに対する技術指導にあたることにあるため、月の大半を出張していなければならないのが現実で、教宣部副部長としての活動は極めて難しくなる。一方その配転先の社員の構成をみると、渡辺、井上の配転先は営業所長を除くと同人を含めて二名であり、佐藤は本人の外には部下が一名だけである。

(3) 加藤は原告三好工場における準社員としては唯一の組合員であり、組合執行委員として準社員の地位向上の観点から組合が設けた準社員問題調査会に積極的に参加していたものである。従って、交替勤務のある職場への配転により執行委員としての活動にかなりの支障をきたすものである。また、同人は男子社員急募(資材課)のチラシによって応募したもので、入社面接の際、これに当たった田中資材課長から同人に対し、原告会社には正社員と準社員があり、給与面で準社員は正社員と差があるが、準社員については転勤、配転はない旨説明があり、同人から従前勤務していた会社での交替勤務で健康をそこねた経験から、夜勤のある職場には就きたくない旨希望を述べたところ、それでは準社員として交替勤務のない資材係が良いであろうというので入社した経緯がある。原告は、田中課長が準社員に配転がない旨説明した趣旨はあくまで工場外配転はないという趣旨であり、事実これまでにも準社員の工場内配転は行われてきた旨主張し、<証拠>中には右主張に副うものがあるけれども、入社面接の際、配転を工場内と工場外に明確に区別して説明したかは疑問であるし、また、これまでに準社員について配転のなされた事例をみると、勤務条件が不利益に変更されたものはなく、いずれも被配転者の同意を推定できるものであるなど、本件配転と同列には論じられないものであることが認められるから、原告のこの点の主張はにわかに採用できない。しかるに、今回の配転については、何らの意向聴取もないまま仕事の内容も作業環境も異なり、何としても避けたいと考えていた交替勤務のある樹脂班へ配転の内示を受けたものである。従って、入社の際同人と原告との間に退職に至るまでの間終始資材係として勤務する旨の労働契約が成立していたかはともかく、原告は本件配転について特別の必要性があるか、同人の同意がない限り本件配転を命ずるのは相当でないというべきであるところ、そのような特別の必要性を認めるに足りる証拠はない。

(4) 大矢は前回配転においては本件和解により六名の配転取消がなされたこととの関連で、結果として配転が取り消されたにすぎないものであるが、前記組合員の範囲の問題についての原告の見解からすれば、非組合員であるべき総務課経理係長の職にあったものである。同人は前叙のとおり原告の右のような見解に反対するナトコ労組に同調し、前回配転問題の際はその交渉方を組合に委任するなどして、組合員としての立場を鮮明にしていたものである。しかるに、同人の配転先はいわば原告の子会社であるナトコ商事であり、しかも同人が就いていた総務課経理係長の職制上の地位とナトコ商事の支配人のそれとを比較すると、明確にこの点について規定したものもないことから、いずれが上位かはにわかに決め難いものの、原告が五六年秋季の配転計画においてナトコ商事の支配人である三田村徳太郎を総務課経理係長に配転していることからすると、両者はほぼ同等と見て妨げないところ、同人はかつてその地位にあったナトコ商事の支配人としてではなく、その下位の職員として配転を命ぜられたものであるから、給与等に格差こそないものの、一種の降格的処分と受け取られるものであるうえ、同人が支配人には不適格であるとして原告本社へ呼び戻された経緯に照せば、同人にとっては到底受け入れ難い職場である。

また、佐藤も原告の見解からすれば、非組合員であるべき人事労務係長の職にあったものであるから、両名の配転に関してみるかぎり、原告がこれまでの団交等において、組合と鋭く意見の対立していた組合員の範囲の問題について、原告の見解を配転という形で実現するものにほかならないものであり、大矢、佐藤の後任者がいずれも非組合員であること及び原告が本件配転の主旨等を説明した際に前記被告の斡旋案を考慮した旨明らかにしていたことを考え併せると、このような結果はもともと本件配転によって原告が意図したことであったと認めることができる。

(四)  本件配転と本件和解条項

(1) ところで、継続的雇用を前提とする労使関係の下において、配転等の人事に関して労使間に和解が成立した場合は、特段の事情の変更がない限り、労使は和解によって出現した現状を互いに尊重すべき義務があることは労使間の和解に内在する性質から当然導かれることであり、このことは原告も争わないところである。しかも本件配転命令は、本件和解によって前回配転を取り消した前記渡辺、細江、佐藤、恒川、井上ら五名について、本件和解から半年も経過しない間になされたもので、その内容も前回配転と同一であることからすると、本件和解の趣旨を無視するものであるとの非難を加えられてもやむを得ないものである。これに対し、原告は本件和解成立の際被告の使用者側委員から、本件和解条項2に定める配転手続きを踏んで再度同様の配転を命ずることは一向に差し支えない旨説得をうけたので和解に応じた旨主張し、本件和解に原告の代表者的立場で関与した前顕粕谷忠晴はこれに副う供述をするところである。しかしながら、本件和解をするについて被告委員からの説明や説得、更には原告の思惑があったにせよ、原告は本件和解案を受け入れるに当たっては、右五名の者に対する配転を取り消すことにより、当時原告が予定した人事異動計画に支障を来すであろうことを認識したうえ、前記不当労働行為救済申立事件に関与していた弁護士とも相談し、検討を加えた結果、敢えて労使関係の安定円満化を図ることによる利益を選択したものであることが認められる。従って、仮に本件和解をするについて原告主張のとおりの事情が認められたとしても、そのことが前に認定した本件和解の効力を左右するとか、本件和解条項の趣旨を理解するうえでさ程影響を与えるものとは考えられないから、このような状況下において、組合が原告の本件配転計画に強く反発したことも首肯できるところである。

(2) 本件和解条項2に定められた組合との協議条項の理解に関しても、原告と組合との間には争いがあるが、右協議条項が組合のいうような人事同意約款ではなく、反対に形式的に話合いの過程を踏みさえすれば協議を尽くしたことになるといった単純な手続き規定でないことは本件和解の文言から明らかであるが、更に前記認定の本件和解に至る経緯に照らすと、このような条項が組合と使用者との間に合意されたのは、原告が使用者の人事権の行使に一定の制約を課す結果になることを容認したうえ、できる限りナトコ労組の組合活動を保障し組合員の権利を尊重する趣旨に出たものと認められる。従って、原告としては、本件配転を命ずるに当たっては原告の業務上の必要性を検討するというだけでは足りないのであって、当該人事異動が組合活動に及ぼす支障等に対しても十分配慮し、組合の意見も考慮するとの立場から組合との間で十分の協議を尽くす必要があるものと解される。そこでこれを本件についてみると、本件配転対象者の大部分が前記のとおり組合の役員等組合の中心的活動家であり、これらの者について本件配転が実施されれば、組合活動のうえで相当の支障が生ずるであろうことは容易に予測されるにもかかわらず、原告は一〇回に及ぶ団交を持ち、本件配転の必要性についての説明はしたものの、前回配転が原告の企図したところから大きく後退した結果に終わったことから、今回の人事異動に関しては計画どおり実施しなければならないとの意向を固めていたためもあって、組合の意見を考慮して今回の配転計画に変更を加えることは一切していないことが認められる。もとより、原告のこうした対応の仕方が本件和解に定められた協議条項の明文ないしその趣旨に反しているか否かは本件配転の必要性の有無、程度にもかかっていることであるから、軽々にこれを断ずることはできないところであり、恒川らが終始右和解条項を盾に右五名の配転を白紙撤回せよと強く迫り、これに固執したことから団交においてもなかなか話合いによる解決の糸口をつかみにくい状況にあったことも窺えるが、それにしても、本件配転は一旦和解により解決した事項を、わずか半年に満たない間にこれを蒸し返すような形で実施しようとしたものであって、恒川ら及び組合がこれに強く反発したとしてもこれを非難することができないものであることは前叙のとおりであるから、原告が一〇回に及ぶ団交において労使の意見が全く平行線であったため、話合いによる解決の見込みがないとして本件配転の実施に踏み切ったことが、果たして本件和解に定める協議条項の趣旨を十分尊重したといえるかは疑問といわざるをえない。これに対し、原告は本件配転は前記のとおり被告委員の説明に従って実施したものであるから、前回配転の蒸し返しなどといった非難をうける謂れはなく、右の程度の話合いで十分協議を尽したことになる旨主張するけれども、被告委員の説明に従ったということが本件配転を直ちに正当化するものでないことは前叙のとおりであるから、本件和解条項に定める協議を尽したか否かを判断する際に、本件和解に至る経緯とその後の諸般の事情を考慮に入れることは一向に差支えないというべきである。

3  以上の事実が認められるところ、粕谷忠晴及び梶浦明の各供述中右の認定に副わない部分はいずれも措信しない。

四本件配転と不当労働行為意思の存否

以上認定の本件配転対象者とされた恒川ら六人のナトコ労組における地位、役割、実際の活動状況、本件配転によって同人らが当時の職場から離れることによって組合活動に受けるであろう支障、制約、これが同組合に及ぼすであろうと予測される影響、並びにナトコ労組が公然化して以降、同組合と原告との間で行われた折衝の経過、態様等を総合すると、本件配転命令は右恒川、細江、渡辺、佐藤らの組合活動に重大な支障を生じさせ、また、加藤の組合活動にも少なからぬ影響を与え、そのためナトコ労組は相当の混乱と弱体化を免れないものと認められるとともに、右五名及び大矢ら組合員をその組合加入及び組合活動を理由に不利益に取り扱うことになるものと推認することができ、加えて、加藤については、健康上の理由から回避したいと考えていた交替勤務に就かせることにより、同人に精神的苦痛を与えるものである。従って、原告において、本件配転を実施するについて、ナトコ労組及び組合員である恒川ら六人に対して右のような不利益や支障が生じるのもやむを得ないと認めるに足りる程度の必要性と合理性が認められない限り、本件配転は不当労働行為に当たるとの評価を免れないというべきである。また、大矢、佐藤に関しては同人らを転出させたあとへ非組合員を配置したことから窺われるように、組合員の範囲をめぐるナトコ労組と原告との主張の対立の中で、これによって一方的に組合の見解を無視することになった点において、同様組合に対する支配介入である疑いが濃厚である。

五これに対し、原告は本件配転は原告の業務上の必要性に基づき、配転対象者の個別的事情も検討したうえ実施したものであるから不当労働行為に当たらない旨主張するので本件配転に至る経緯に沿って以下検討する。

1  昭和五六年春季の人事異動の目的と必要性

<証拠>によれば次のとおり認められる。

原告の人事異動の目的、方針、昭和五二年頃の実施状況は前記三の1(本件配転に至る経緯)(2)(3)に認定のとおりであるところ、原告は昭和五四年一一月に至り、業界の動向をも勘案し、幹部会において、営業部についていえば、それまで各営業所を営業部が直接統括する形態を採っていたのを自動車補修用塗料、木工建材用塗料、金属用塗料の商品需要別に組織を分離してそれぞれの組織の充実強化を図っていこうとの方針を決定し、とりわけ営業強化の見地から専門的知識を有する営業マンを育成する目的で営業部の中に販売一課と二課を設けたが、実質的な人員の補充増強等は行なわれないままに終わった。

その後、原告は昭和五六年二月までの自社の累計売上実績が前年同期比で九三パーセントと低調な事態に立至ったことから、幹部会において同業他社専門メーカー(多品目にわたる各種塗料のうち一定種目の塗料のみを専門的に製造するメーカーをいう。)の業績の伸長ぶりを検討するなかで、未だ十分に実行されていなかった商品別組織の充実、営業部の人員増強の必要性を討議し、昭和五六年春季の人事異動計画実施の決定を見るに至ったことが認められる。もっとも、そのような事情のみが同季の人事異動をこれまでと異なった規模、内容のものにする直接かつ重要な理由であったとは俄かに認め難いところである。蓋し、前顕証拠によっても、そもそも前記三の1の(三)の(1)に判示のとおり、同季の人事異動の全容が明らかにされていないため、これと恒川ら六人の配転の必要性との関連性の検討が困難であることに加えて、昭和五六年二月までの累計売上実績が落ちていることは確かであるが、右売上実績の対象とされた昭和五五年の累計売上実績を昭和五四年同期の累計売上実績と比較してみると一三三パーセントと著しい増加を示しているので、九三パーセントという数値だけからその時の業績が著しく低調といえるか簡単に判定し難いところがあり、また、<証拠>によれば、比較の対象とした業界全体の売上高累計算出の基礎とされた統計資料は企業規模、商品構成等千差万別の業界全体のそれを単純に合計したものであって、これが示す数値と原告の数値とを対比することによって直ちに原告の業績の低迷といい得るかも微妙なところがあるうえ、原告が売上実績を問題とする際に対象としたのは業界全体のそれであるのに対し、組織作りの方針を決定する際検討の対象としたのは同業他社専門メーカーであって、そのこと自体は企業経営に関する事柄であるから特に異とするに足りないとしても、自社を今後専門メーカーとして位置付けようとの趣旨なのか、具体的にいかなる専門メーカーを想定したのかの点も、粕谷忠晴の供述は必らずしも統一がとれているとはいえないし、需要商品別組織を確立するという方針決定の具体的内容についても、その後の組織作り及び人員補充状況に照してみると、果してこの時を境にそれまでと格段に違って確実なものとして固まっていたのか疑問があるからである。

2  五六年秋季配転の目的と必要性

原告は同季の配転を必要とした理由として、同年春季の人事異動が実施されなかったことによる組織作りの中断を挙げ、前顕粕谷忠晴、同梶浦明の各供述中には五六年秋季配転の目的が前記五四年以来の目的である組織作りの実現にあった旨右主張に副うものもあり、営業強化という大枠においてはそのとおり認められるところである。しかしながら、右粕谷忠晴、梶浦明の各供述によっても、原告は同年春季の人事異動の目的としていた営業部員による商品別担当の方針は相当な人員増を要することもあって放棄したというのであり、しかも同年春季の人事異動の規模、内容等の全貌が明らかにされていないため、五六年秋季配転の内容、規模等が同年春季の人事異動のそれと果たしてどのような関係に立つのかを確知することができない。従って、五六年秋季配転の必要性の判断に当たって、同年春季の人事異動の中断が五六年秋季配転の必要性を一層強くしたとの趣旨の粕谷忠晴の供述は否定的に考えざるを得ないところである。

次に、1掲記の証拠によれば、原告の同年一月から同年八月末までの累計売上実績が業界全体が前年比で一〇三パーセントと好調であるのに対して九九パーセントと低調であったこと、原告は同年一一月から始まる五七年度期の業績の低迷が予測されたことから、①営業部門の強化、そのために営業適性、塗料知識を有する者をこれに充てるとともに、大幅の人員増が必要であること、②第二技術課に開発係を新設して新規、特異性のある製品開発を行うこと、③品質管理グループを技術部より生産部に移管して品質管理を徹底させ生産性を向上させることの三点を目的に五六年秋季配転を計画したことが認められる。しかしながら、<証拠>によれば、原告の売上総利益は必ずしも落ち込んではいないことが認められるのであって、これが著しい業績の低迷といえるかについて五六年春季の人事異動について述べたところと同様の疑問の生ずるところである。もとより、右のような疑問があるからといって同季配転の業務上の必要性が直ちに否定されるというものではなく、一般に人事異動の業務上の必要性を判断するに当たっては、単に売上総利益高などの外部に現れた結果のみによるのではなく、それぞれの企業に内在する問題点なり将来的展望なども十分考慮に入れた経営的観点から判断されなければならないものと解されるのでこの点の検討を要するところである。もっとも、原告は右のとおり営業部門の強化、特異性のある新規製品の開発、生産性の向上のため五六年秋季配転の必要性があった旨主張する一方、同季の配転が本件和解によって撤回されたため、やむなく本件配転において再びこれを実施せざるをえなくなったものである旨主張するので、この点は後記本件配転の目的と必要性のなかで併せて検討することとする。

3  本件配転の目的と必要性

1掲記の証拠によれば、昭和五六年一一月から昭和五七年二月までの原告の累計売上実績は前年同期比八九パーセントと二年連続して低調であったのに対し、その間の業界全体の平均売上実績が一〇五パーセントと好調であったこと、原告としては引続き低落傾向にあることを危惧し、更に業界における地位の低下も懸念されたため、昭和五七年三月一日の幹部会において、早急に営業部門の人員を増強して営業強化を図るとともに、昭和五四年一一月の職制変更以来の懸案事項でありながら五六年秋季の人事異動において一部実施されないままになっていた専門分野の充実強化のための人事異動を行うこと、併せて在庫管理問題を解決するため出荷業務を外部の専門会社に委託することを決定し、それに伴う人事異動も実施することを決定したこと、しかして、前叙のとおりの企業経営者として将来を展望する立場から見る限り、原告には本件配転を行うについて業務上の必要性のあったことを一応認めることができる。

しかしながら、<証拠>を併せると、原告は翌昭和五八年には総売上高、売上総利益とも前年より約一億円伸ばし、昭和五九年以降も業績は好調であることが認められる。従って、原告の予測は結果的には杞憂に終わったわけであるし、何よりも、一般に配転が個々の従業員の生活に対して種々の不利益を及ぼすものであることに鑑みると、労使関係における信義則上も、原告の立場から見て業務上の必要性があるからといって、このことから本件配転に関して、客観的にも業務上の必要性があると即断するのは相当でないというべきである。

4  恒川ら六人の人選の合理性と必要性

そこで、右恒川ら各人に対する関係で、本件配転の合理性、必要性につき検討することとする。

(一)  恒川について

原告は、大阪地区の市場占有率の拡大のため、特に収益率の高い自動車補修用塗料の売上向上が期待されたので、この分野での知識を有する同人を選任したものである旨主張し、<証拠>によれば、同人は入社以来主として建材用塗料の調色の業務に就いてきていたものであるが、これによって自動車補修用塗料の調色に対応する技能も備えているものと認めて差し支えなく、営業マンとしての対外折衝能力もあることが認められる。従って、原告が同人を大阪営業所の営業部員に配転することにより、大阪営業所の売上が向上するであろうと期待したことは首肯することができる。しかしながら、このような配転は、前例がないわけでないにしても、製造部から営業部営業部員への配転であるから、同人の意向も十分に尊重されてしかるべきところ、これが同人の意に沿わないものであることは明らかであるのみならず、これまで配置されていた営業部員の担当領域とその有する技能、知識の程度についても、又こうした営業部員の構成のもとでの売上状況等も原告によって明らかにされていないこと、更には同人が前叙のとおり組合公然化以後、書記長として組合の中心となって活動してきたものであることを考慮すると、右のとおり建材用塗料の調色班に勤務してきた同人を自動車補修用塗料の営業マンとして配転する必要性があるのかについては、これを認めるにはなお疑問が残るといわざるをえない。

(二)  大矢について

原告はナトコ商事において支配人の補佐が勤まるとともに経理にも明るい人材として同人を選んだ旨主張するけれども、そもそも同人のナトコ商事への転属と原告が本件配転の最大の眼目とした営業強化のための専門分野の充実強化との関連性は前顕全証拠によってもにわかに首肯し難い。ナトコ商事の規模、業務内容及び欠員者の職務内容に照らしても、従来から、ナトコ商事において支配人の外に人事、労務あるいは経理を担当する職員として同人ほどの豊富な知識、経験を有するものを充てたことはないし、この当時特にそのような者を補充しなければならない状況にもなかったことが認められるのであって、前記井上の後任として同人が最適任であった旨の原告の主張は採用できない。

(三)  渡辺、細江について

渡辺は昭和四六年三月静岡大学工学部工業化学科を卒業後昭和四七年三月原告に入社して以来、細江は昭和五〇年三月岐阜大学工学部工業化学科を卒業後原告に入社し翌年の二月から、いずれも技術課技術部員としてその職務に従事してきたものであることは当事者間に争いがない。従って、かような技能、経験を有する同人らを職種の異なる営業部に配転するというのであれば、これが直ちに契約違反になるか否かはさて措くとしても、そうすることにつき相当高度の必要性がなければならないものと解される。そこで、同人らの本件配転先であるSEの職務内容及び技術部とSE間の配転状況についてみるに、<証拠>によれば、SEの職務は、業務用塗料を販売する際に顧客に対し技術者の立場からその製品の特徴や用法を説明、指導しあるいはその疑問やクレームなどに応えることにより、顧客の信用を得るとともに、技術者として現場で得た情報を技術に還元することにあること、従ってSEにはこうした技術的知識、経験を有する者が当たることが望ましく、過去においてそうした者が充てられてきたこと、こうしたSEの現場における日常的活動は売上ノルマはないものの営業部員の現場における活動と同様、営業の強化に貢献するものであり、実際の職務活動としては営業部員と競合する面も多く、従来、営業部員で足りないところは技術部員が出張するなどの方法によって賄ってきたことも少なくないこと、その構成人員も昭和五四年三月頃に合計八名であったのが、原告が営業部門強化の必要性を打ち出した昭和五四年一一月一日には名古屋駐在の三名だけとなり、昭和五五年一一月には七名に回復したものの、昭和六一年五月には四名となるなど、常に一定数の人員を確保しなければ営業上にマイナスを生じさせる恐れがあるといった職務とも考えられないこと、とりわけ高松営業所についてはそれまでSEが置かれたことはなく、本件配転当時格段にその必要性が生じたことを窺わせる事情もないことが認められ、同人らに対しSEを命ずる旨の本件配転に高度の必要性を認めることは困難であり、他にそのような必要性を認めるに足りる証拠はない。

(四)  佐藤について

<証拠>によれば、同人は主として営業畑に勤務してきたものであるが、昭和五六年春季の人事異動の際は名古屋営業所長への配転の意向打診を受けていたこと、それが同年五月ナトコ労組に加盟したことが原告にも判明した後と推測される昭和五六年秋季配転においては、前叙のとおりの遠隔地で小規模の営業所に配転の内示がなされるに至ったものであること、本件配転がこれまで何度かの転勤によって子供の教育問題などに大きな悩みを抱えていた同人の生活上に与える影響も決して小さくはないことが認められる。原告は、広島営業所の担当地域である中国地方の販売店網の整備拡大を図る必要があるため、東京営業所長に転出する訴外国立秋夫所長の後任として、ベテラン営業マンで労務管理の経験のある同人を選任したものである旨主張するけれども、他の地域とは別に、同地域の販売店網の整備拡大を特に必要とする事情があったことを認めるに足りる証拠はないばかりか、いわば栄転の形で東京営業所へ転出となった国立所長の後任として更に販売店網の整備拡大のため、特にベテランの営業マンを充てる必要性があるのか、広島営業所の規模等に照らして労務管理の経験を特に必要とするほどのことがあるのかといった疑問も生じるところであって、前顕梶浦明、同粕谷忠晴の各供述によっても同人の人選の合理性、配転の必要性を肯定することは困難である。

(五)  加藤について

原告は本件配転は第三製造係樹脂班の欠員補充のためであった旨主張するが、原告の本件配転の目的との関係でこれをみると、<証拠>によれば、本件配転は出荷業務を外部の専門会社に委託することにした結果、業務係発送班の従業員を他の部門に配置換えをする必要が生じ、玉突き人事で同人を樹脂班に配転することになったものであることが認められる。従って、同人の配転の必要性は、こうした全体的異動計画のなかで判断されなければならないと解されるが、原告は、当時樹脂班に欠員があったとの理由を挙げるのみであって、同人の後任者を他の部署に配置する余地はなかったことなど、前叙のとおり敢えて準社員として入社し交替勤務のないことを希望して資材係として勤務してきた同人を、その意向を無視して交替勤務のある樹脂班に配転するのもやむを得ないと認めるに足りる証拠もないところである。

六小括

以上のとおり、原告の主張する本件配転の業務上の必要性合理性については十分に首肯することができず、本件配転を実施するについて、ナトコ労組員恒川、渡辺、細江、佐藤、加藤、大矢及び同労組に対し組合活動上の不利益や支障が生じるのもやむをえないと認めることはできない。

そして、これらの点と前記三ないし五で認定した諸事実とを彼此綜合して判断すれば、本件配転及びこれに続く本件解雇は恒川ら六人のナトコ労組加入及び同組合での組合活動を嫌悪し、ナトコ労組の弱体化を企図して行った不利益取扱であり、また、同労組員大矢、同佐藤についても、第一義的には組合自治の問題である組合員の範囲に関する原告の主張を本件配転によって事実上実現させたもので、これはナトコ労組に対する支配介入というべきものである。とすれば、本件配転及びこれに応じないことを理由としてなされた本件解雇は労働組合法七条一号、三号に該当する不当労働行為であると認められる。

七原告は、佐藤は本件解雇の後喫茶店を開業し原職復帰の意思を喪失しているから原職復帰並びに賃金支払いを命ずる必要性はない旨主張するので判断するに、<証拠>によれば、同人は昭和五八年三月一七日から自宅近くのマンションを借り受け、兄弟からの借金六五〇万円に自己資金二五〇万円を投じて、「マイカップ」の屋号で喫茶店を開店し、以来妻ともども同店の営業を続けてきており、そのため、組合と原告との団交の場所にも殆ど出席することがなく、原告会社に就労を求めて来たことも数回程度しかないこと、しかし一方、右喫茶店の開業後現在までの営業状況は、毎月の売上高は平均八〇万円前後であるが、経費(このなかには妻に対する専従者給与分月額一〇万円程度が含まれている。)を差し引くと年間二〇数万円程度の収入にしかならず、営業成績は不良で将来好転する兆しもないこと、同店の経営が予想外に家族生活に種々の支障を生じさせていることもあって、佐藤は原告が自己の原職復帰を認めるならばいつでも右喫茶店の経営を止め、原職に復帰したいとの強い意向を持っていること、ところで、同人がこのように喫茶店を始めた動機は、原告から本件配転を命ぜられ、その撤回を求めて交渉したけれども結局本件解雇の意思表示を受けるに至り、更に組合と共にその撤回闘争に入ったが、原告の態度は強硬で容易に解決の見通しも立たず、紛争の長期化が予想されたことから、本件解雇撤回闘争を強力に維持、推進するため、自己の生活を安定させるとともに組合活動も資金的に支えて行こうということにあったことがそれぞれ認められる。これらの事実に照らすと、同人が本件解雇の後喫茶店を経営していて、原職復帰の要求活動に殆ど姿を見せないからといって同人が原職復帰の意思を喪失したものとは認められないし、また、同人の右収入をもって必ずしも同人の解雇期間中の支払額から控除しなければならない利益とも認められないから、原告の主張はその余につき判断するまでもなく採用できない。

八以上のとおりであって、本件配転及びこれに続いて恒川ら六人に対してなされた本件解雇を不当労働行為であるとしてなした本件命令に原告主張のような違法はなく、従って原告の請求は理由がない。

よって、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条、九四条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宮本増 裁判官根本渉 裁判官福田晧一は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官宮本増)

別紙<省略>

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